ローマ皇帝伝古代ローマ歴代皇帝の略歴を追っていきます。

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ティベリウス帝 (第2代皇帝) 12:30
ティベリウス帝
ティベリウス帝(在位:後14年〜後37年)
主な称号
コンスル5回、インペラトール8回、護民官特権38回

略歴
前42年、ローマ生まれ。ティベリウス・クラウディウス・ネロという名でしたが、後4年にアウグストゥス帝の養子となり、ティベリウス・ルリウス・カエサルと改めます。
後14年、アウグストゥス帝の死により帝位を継ぎ、第2代皇帝ティベリウス・カエサル・アウグストゥスとなります。
基本政策ではアウグストゥス帝を踏襲し、「皇帝」という地位をイレギュラーではなく確固とした地位にすることに成功します。

パンノニア、ゲルマニアで次々とローマ軍団の反乱が発生しますが、実子ドゥルースス、甥のゲルマニクスらの活躍で収拾することに成功します。
ティベリウス帝は後17年、アウグストゥス帝時代から続くゲルマニア戦線に収拾をつけることを決断し、ゲルマニアの国境はエルベ河ではなくライン河とすることになりました。
以後ローマ帝国はライン河を国境とし防衛ラインが造られていくことになります。

その後ゲルマニクスはゲルマニアからオリエントへ赴任し、活躍するものの後19年に死去してしまいます。そして残る実子のドゥルーススには後継者として執政官などを歴任させるものの、後を追うように後23年急死してしまいました。

ティベリウス帝自身はというと次第に元老院との確執が悪化し、後27年にはカプリ島に隠遁してしまいます。そして隠遁生活のまま10年間、帝国を統治することになります。
彼の治世は元老院、ローマ市民からの人気はなかったものの、反乱や金融危機、大火災など次々起こる問題を着実に解決していくという姿勢が貫かれたものとなりました。
そして隠遁生活からローマには一度も戻ることなく、後37年ナポリにて77歳の生涯を終えたのでした。
| ユリウス・クラウディウス朝 | comments(11) | - | posted by romanus
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